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進 啓士郎 ナパームフィルムズ プロデューサー
進 啓士郎
ナパームフィルムズ プロデューサー
監督との出会いを教えて下さい。
今から15年前に大阪の学校で知り合いました。今でも初めて会話をした時の事は良く覚えてますよ。英語のテストを返却していて、それまでは僕がクラスでトップだったのを監督に抜かれたんです。悔しかった。ちょうど監督は僕の後ろの席に座っていたので、後ろを向いてちょっと話をしたのを覚えてます。ちなみに僕の前に座っていたのは今音楽を担当している矢野です。
当時はどんな事をしていたのですか?
僕は千葉の高校を卒業してフラフラしてて、監督はオーストラリアから帰国したばかりでした。お互い映画好きというだけでなく、映画が作りたい、という思いがあったので、知り合ってすぐ映画製作に入りました。知り合ってすぐクランクインという感じです。この間当時のスケジュール帳を見つけて見てみたら、学校の事は何ひとつ書いて無くて、「クランクイン」とか「屋上のシーン撮影」とかしか書いてなかったです。ただの撮影スケジュール帳。で、撮影をやってない時はバンドをやったり、映画を見に行ったり、ライブを見に行ったりしてました。
当時の監督はどんな感じでしたか?
今と基本的には同じです。
不幸か幸いか、ぼくが生まれて初めて会った映画監督が監督だったんです。もちろん当時は8ミリで自主制作を撮っているアマチュア監督なんだけど、やっぱりどこか普通の人とは違った。みんなをまとめる力が自然にあるというか、みんなを丸め込むのがうまいというか…何をしてても常にみんなの中心にいた。だから僕は自然に映画監督っていうのは、こういう人間がなるんだ、って勝手に思ってましたね。それは今も変わってません。映画の規模は大きくなっても、監督の作る作品は基本的に一緒だし、本人も全然変わってない。
当時から今の状況を予感してましたか?
正直言ってありました。ただ日本でこんなに作品を監督するとは夢にも思ってなかった。
当時は、いかに早く米国に行って、いかに早くハリウッドで監督するかがテーマでしたから。だから色々調べましたよ。USC大学の映画科とか行くと学生の卒業制作をスピルバーグが見に来る、とかね。だから日本で「ゴジラ」を監督するって夢みたいな話ですよ。昔からゴジラのオリジナルストーリーとかも書いていたから。
では、最後に進さんにとって「北村龍平」とは?
僕の人生においてもっとも強烈なスパイスです。北村龍平と出会ってなかったら、今の生活とは全然違う生活を送っていた事は確実。たまに出会った事を後悔しますが。北村龍平は、常にアクセル全開状態で、行動力も怒りも優しさも普通の人間の100倍。そこら辺の公道をF1が走っているような感じで暴走してます。だから、ついていく方は大変。きっと普通の人間の100倍は苦労していると思う。その証拠にストレスで僕の髪の毛もどんどん抜けていっているし、体重もどんどん増えていって、友達にひさしぶりに会ったら「誰?」って言われちゃいましたよ。昔は、吉田栄作似とかカートラッセル似とかマイケルダグラス似とか言われてたのに…まあ、それでも北村龍平の魅力にはかなわない。悔しいけどかなわない。どんなハードな状況に置かれようと、一緒に進んでいきたい、何か役に立ちたい、と思わせるのが北村龍平の魅力なんです。
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